主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

こんな罪人の私を憐れんで下さい。ルカ18章13節

ところが取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。
『神様。こんな罪人の私を憐れんでください。』
                       ルカ18章13節

徴税人は、神殿を前にして階段を上ることが出来ず、下で立ち止まってしまった。
神に愛され罪深さを許していただきたいのにこんな自分は到底神に近づけない」という罪の自覚があった。
何が徴税人の足を止めてしまったのか。それは彼の中にもある「正しい行いをしている者が神に受け入れられる」という律法による救いという考え方。
エス様の福音はこの思想を根底から覆す。
人の正しい行いによって救われるのではなく、神の憐れみにただ依り頼む心(信仰)によって救われる。
救いは恵みにより与えられる。褒美ではない。

今も、礼拝に出たいと思いながら、「私みたいに世に染まり汚れた人間は教会なんかに入れない」と教会の前をとおり過ぎる多くの人がいる。
教会は正しいと自負している人のためにあるのではなく、正しくない自分を嘆いている人のためにある。
罪を自覚したならば、自分を正しいものとしようとはせず、ただそのまま、神の憐れみを乞い求めればよい。
2019.3.10 茅ヶ崎集会 建徳要旨