主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。マタイ6:15

【子よ、あなたの罪は赦された】
 私たちの教会の礼拝では、「子よ、あなたの罪は赦された」というイエス様の赦しの宣言を聞いてから、礼拝が始まります。
 この言葉は、なんと私の心を優しく労わり支えてくれることでしょうか。
いつも、この言葉を聞いて、ふっと、心の力を抜くことができます。
あー、生きててもいいんだなあって、自分の存在を認められるのです。
あなたの罪と言われると、何か、犯罪や過ちを思い浮かべるかもしれませんが、
私にとって罪とは、言い換えると、自分の生きてきた軌跡のすべてをいうのです。
生まれてから、これまでの、日々の選択とその結果、日々歩む中で、何か足跡を残し、形が造られてゆきますよね。そして、いろいろな人に出会い、影響を与え合っていくわけです。
でも、自分の身勝手さ、愛の無さ、冷たさ、などなど、は、相変わらずで、ここぞ、というところで、
自分の本性が現れ、人を傷つけていってしまうのです。こんなことを繰り返してきていると、ほんとに、こんな自分でいいのかなあって、どこかでいつも思ってしまう。
こんな、自分の不確かさを抱えたままで、礼拝に行き、そして、「子よ、あなたの罪は赦された」というイエス様の言葉を聴いて、ほっとするのです。「ほっと、しなけりゃ福音じゃない!」は恩師の証しの言葉です。
私も、今、やっと、ほっとする福音に出会うことができました。
こんな自分でも、いいのですか?はい、いいですよ!といつも語りかけてくれるイエス様。
後のことも先のことも私に任せなさい!と言って下さるイエス様。
 
私には、日々新しく、この赦しの言葉を聴くことが、必要です。