主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

ドルカスがいっしょにいたころ作ってくれた下着や上着の数々を見せるのであった。使徒9章39節

使徒の働き9章36節から39節

あらすじ。

ヨッパは地中海沿岸の海沿いの町です。隣町のルダにまでペテロが宣教に来ていました。

ルダではペテロは脳梗塞で8年間も床についていたアイネやに出会い、アイネヤを癒しました。

ヨッパには、タビタという姉妹がいましたが、病気になって死に、遺体を屋上の間に安置しているところでした。

このタビタはやもめたちに多くの良いわざを施し、多くの人々から慕われていました。

隣町のルダにまでペテロが来ていることを知った弟子たちは、ペテロをヨッパに呼び寄せました。ペテロに来てもらえば、タビタも生き返ることができるかもしれないと考えたのでしょう。

ペテロが到着すると、やもめたちは一斉にドルカス(タビタ)がどれだけ多くの施しをしてくれたのかをペテロに報告したのでした。

 

普通なら、使徒であるペテロが来たならば、この人を癒してください!と皆で懇願するのではないでしょうか。しかし、ドルカスに世話をされたやもめたちはドルカスの死を受け入れつつも、

ドルカスがどれだけよい施しをしてくれたかをドルカスの良い思い出をペテロに伝えたくて仕方がなかったのです。

 

ペテロは、やもめたちの話を聞いたのち、

独りひざまずいて祈り、主はその祈りを聞いて下さり、ドルカスは生き返りました。

この出来事を見聞きしたヨッパの人々の多くは主を信じました。

 

報告

先日、長年教会で共に礼拝を守りともに奉仕をされていた一人の姉妹が天に召されました。姉妹を通して与えられた思いでの数々を胸に抱きながら今日の礼拝をいつもと同じように皆で守りました。

建徳の中で、この姉妹が愛していた礼拝賛美歌の歌詞『イエスは愛す嬉しさ われさえ われさえ イエス愛す嬉しさ わが身さえも』が紹介され、

この姉妹が『私がイエス様を愛していることが嬉しいのではなく、イエス様が私を愛してくれていることが嬉しいの』といつも喜びながら語っていたことを紹介してくださいましたが、私もいつもその証を耳にしていました。

確かにそうです。

まずイエス様が私を愛してくださっているから、私もイエス様を愛することができるし、愛されているから喜びとなり、溢れとなり、周りの人々への施しへとつながっていくのだと思います。

 

こんな私さえも愛して下さるイエス様、

こんな私さえも見捨てないで愛していて下さるイエス様、

こんなふうにイエス様を教えられている姉妹の信仰の姿を想います。

そこには、大切なのは私ではなく主様なんです。というとても大切なメッセージがいつも秘められており、私たちはそのメッセージを大事に想い、

このように姉妹をそして私たちをも愛して下さるイエス様の御名をほめたたえたいと思います。

2020.2.23 茅ヶ崎集会建徳。