集会メッセージ
わたしが主であり、あなたの名を呼ぶ者、イスラエルの神であることを。イザヤ45章3節 わたしが主である。ほかにいない。わたしのほかに神はいない。5節 イスラエルの神、救い主よ。15節 地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。22節 わたしのほ…
人は『ついてきなさい』と言われて誰にでもついていくわけではありません。まして、仕事も家族も捨ててまでついていきたいと思うことは余程のことであります。 ペテロ達、ヨハネ達はなぜイエス様についていこうと決心したのでしょうか。 ガリラヤ湖のほとり…
あなたの年老いた母をさげすんではならない。箴言23章22節(新改訳)。 『戯れに母を背負いて、そのあまりに軽きに泣きて三歩歩まず』(石川啄木)。 強いと思っていた親がいつのまにか自分よりも弱くなっていることに気が付く日があります。親の変化を子供…
私は良い羊飼いである。ヨハネ10章11節 イエス様が私たちを愛している姿は、羊飼いの仕事に似ているよとイエス様はご自分を羊飼いに例えました。 羊飼いは ①自分の羊の名前を呼んで、 ②羊を囲いから呼び出し ③先頭に立って ④牧場まで連れて行き、 ⑤迷子にな…
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 1. この聖書の御言葉は小聖書といわれることがあります。それは、聖書が書かれた目的が端的に記され…
11節を読むと、イエス様の再臨の約束が記されている。弟子たちは、この約束を聞いた。 イエス様の生涯、十字架、復活、そして再臨というイエス様の大切な神の計画を教えられたのだから、もう十分ではなかったのではないか。 私たちも、この四つについていつ…
キリストに結ばれて歩む。 イエス様を信じるということは、イエス様の十字架の死と葬りと復活を私たちも霊においてすべてイエス様と共に体験していくということを意味しています。特にコロサイ書で強調されていることは、私たちはすでにキリストと共に復活さ…
だれでの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。ヨハネによる福音書20章23節 イエス様の復活は、私たちの罪がゆるされたことの保障です。 イエス様の十字架を知るまでは、自分を赦す…
ですから行って、お弟子たちとペテロに、『イエスは、あなたがたより先にガリラヤへ行かれます。前に言われたとおり、そこでお会いできます』とそう言いなさい。 マルコ16章7節 信仰のふるさとはどこですか? マタイによる福音書とマルコにょる福音書のそれ…
ところが取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。 『神様。こんな罪人の私を憐れんでください。』 ルカ18章13節 徴税人は、神殿を前にして階段を上ることが出来ず、下で立ち止まってしまった。 「神に愛され罪深さを許…
マルコ15章16節から41節 イエス様を自分の王とすることを頑なに拒み抹殺しようとする人の罪。 10節 「ピラトは祭司長たちがねたみからイエスを引き渡したことに、気がついていたからである。」 祭司長たちのねたみとは何か。ゆだや人の真の王が来るならば、ユ…
Ⅰコリント11章25節 主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。 題 パン裂きにおいて「主が来られるときまで」を覚えるように勧められた主の御心 序 教会の中心は主の十字架です。主の十字架の死と復活が中心です。そして、礼拝の中心も主の十字架と…
「イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。 ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた」 ヨハネ12章2節 居るだけで良い。 ラザロは何も語りません。ラザロに必要なことは、ただ主の食卓に座っていることでした。ラザロが…
ピラトについて ピラトはティベリウス皇帝が、反ユダヤ的政策を施行した時期にユダヤの地方総督に任命された。西暦26年から36年までこの職にあたり、反逆に対して情け容赦なき態度を取った。ルカ13章1節 その後、ピラトは自ら起こしたユダヤ人流血事件の失策…
イエスキリストの名によって歩くとはどういうことか. 3:1-3:男は生まれつき足が萎えていた。赤子の時は親に抱かれたが、親がいなくなってからは養ってくれる者はなく、周囲の憐れみによって、人の出入りの多い、神殿の門に置いてもらっていた。そこで、施…
神は、実に、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠の命を持つためである。 ヨハネ3章16節 クリスマスおめでとうございます。今年も無事に、皆様とクリスマスを迎えられましたことを感…
憐れみ深い、忠実な大祭司。ヘブル2;17 神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。第一テモテ2章5節 祭司の務めは、民の代表としていけにえをささげ、とりなしをすること。民の代表として、礼拝者として神を礼拝すること…
さて、モーセの律法による彼らのきよめの期間が満ちたとき、両親は幼子を主に捧げるために、エルサレムに連れて行った。ルカ2章22節 幼子に対する両親の務め。ルカ2章22節 22節には、1 モーセの律法による 2 エルサレムに連れて行った 3 主に捧げるために と…
イエスに触れていただくために。 マルコ10章13節。 主の臨在に触れたいと願い、主に御側に少しでも近づこうとする時、主の方からも、私たちに目を留めてくださり、御声をかけてくださる。恐れず、私の側に来なさいと言われる。 主は、私の側に近づき、私の頭…
イエス様の十字架の死は、二つの意味が含まれています。一つは、罪のない人として十字架で死んでくださった。もう一つは、罪のある人として十字架で死んでくださったことです。一見、正反対のことのようで、この二つは同時に成立しないようにも思えますが、 …
悲しみの人で病を知っていた。イザヤ書53章3節 イエス様の姿につまずいた私。 私ははじめゲッセマネの園でのイエス様の姿を祈りの言葉がなかなか受け止められませんでした。 十字架の死を覚悟して、エルサレムへ向かったイエス様の毅然した姿は一体どこへい…
神を愛する人々、 すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、 神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、 私たちは知っています。 ローマ8章29節 所感 なぜ、8章を語ったのだろうか。8月の講習会から、心に感じること、語られているこ…
教会の始まり 兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか。2章37節 ペテロの説教を聞き、待望していたメシヤを自分たちの手で十字架につけて殺してしまったことを知り、どんな神の裁きが自分たちの身に降りかかってくることかとユダヤ人たちの驚愕は大変な…
義と聖と贖い Ⅰコリント1章30節 義とは忠実に神に従う生き方。 聖とは、この世の汚れに染まらない生き方。 贖いとは神に対する犠牲です。 この義と聖と贖いを全うされた方は、十字架につけられたイエス様しかいません。 しかし、人は自分の肉の中に、この義…
老人は夢を見る 使徒2章17節 この夢とは、寝ている時に見る夢のことではありません。 起きてみると消えてしまうはかない夢のことではなく、将来において、神の 言葉の約束に基づいて確かに実現する夢のことです。 これは、御国の完成の姿をいつも夢みるよう…
わたしが来たのは、正しい人を招くためでなく、罪人を招くためである。マタイ9章13節 私は汚れ果てているのでとても主の御許に近づくことはできませんと、勘違いしていることはないでしょうか。 クリスチャンになることに全く関心が無く、自ら近づこうとして…
そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。使徒2章3節 火はものを燃やし尽くし、その後には灰が残ります。 全焼の生け贄は完全に灰になるまで燃やし尽くされてこそ、神に受け入れられる捧げ物でした。 私たちの肉の情熱、宗教的…
使徒行伝の書かれた目的:全世界に出て行きすべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。 1:使徒の働きを伝える 2:働きの主役は聖霊である 3:教会の始まりと広がり 4:聖霊による伝道の継続 ☆一度救われれば、あとは聖霊を神に求めなくてもよいのではない ☆…
マルコ13章 13:1 先日、息子と皇居を散歩してきました。 江戸城の石垣が大きくとても素晴らしい景観でした。もし、江戸城全体が残っていたら何と素晴らしいお城でしょうと驚嘆の声をあげることでしょう。 弟子たちは、ヘロデ大王が造ったイスラエル神殿の素…
1:マルコ13章28節から34節 「神を愛することは、隣人への愛の行いと結びつく」 29節、30節 あなたの神である主を愛せよ。 あなたの神とは誰か?まずこの問いに対してどのように答えるかが大切です。私の神は、ナザレのイエスであると告白することができてい…