神の家族のはじまり。 敵意は十字架によって葬り去られました。エペソ2:16節。 エルサレムの神殿には、異邦人とユダヤ人の庭の間に隔ての壁があり、『その壁を乗り越える異邦人は死刑に処せられる』という注意書きが掲げてあったそうです。 ユダヤ人が大切に…
〈神の豊かな恵み〉イエス様は『わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです』ヨハネ15:15と言われ…
イエスだとわかった。ルカ24章31節 1.31節はさりげない一節ですが、非常に大切な真理を含んでいると言えます。ここには、二人の弟子はイエス様からの解き明かしを聞いて、聖書の預言が良く分かったとか聖書の意味が良く分かったと記しているのでありません…
罪人の友となったイエス様。マタイ9章10節から13節。 私たちは神様に愛されるために造られました。神様は、造られた人をエデンの園に住まわせ、人との愛の交わりを楽しんでいました。 ところが人は神の戒めを破り人の中に罪が入り込みエデンの園から追放され…
権威のある、新しい教え。マルコ1章27節。 イエス様は宣教を始めるにあたり、弟子を集められました。それは、イエス様の昇天後、イエス様の福音を全世界に宣べ伝える器を必要とされていたからです。イエス様は弟子を集め教育し訓練されました。弟子たちはイ…
マルコについて 1.マルコは直接、イエス様の使徒ではなく、ペテロの弟子となり、ペテロから直接イエス様の生涯について話を聞かされ福音書を記しました。 14章50,51節には『ある青年が、~~すると、彼は亜麻布を脱ぎ捨てて、はだかで逃げた』とあり、こ…
洗礼者ヨハネ。マルコ福音書1章2-8節1 洗礼者ヨハネは、旧約聖書の最後の預言者とも言われ、エルサレムに暮らす宗教家たちのように外面だけ宗教儀式を守ればよいというのではなく、心の内側から律法に従うことを説いていました。 ヨハネ自身がなによりも義に…
洗礼と共に始まったイエス様の宣教。マルコ1章9-15節 1.イエス様は常に神と共に歩まれていたので、罪を悔い改める必要はありませんでしたが、自ら遜り、罪人の受けるべき模範として洗礼を受けられました。 洗礼の目的は聖霊を受けることにあります。 公に…
愛するイエス様が十字架で処刑され、悲しみに打ちひしがれていたマグダラのマリヤ。追い打ちをかけるかのように、イエス様の亡骸が消え、マリヤは外で墓のところにたたずみ泣いていました。 そんなマリヤに『なぜ泣いているのですか』とみ使いと復活されたイ…
イエス様の復活は今を生きる信徒にとってどのような意味があるのでしょうか。 イエス様を信じたことにより、御霊が私たちの霊をよみがえらせ、さらに私たちの霊と共に御霊も私たちの内に住んで下さいました。 さらに御霊は『死ぬべき体』にも力を及ぼし『死…
1.ペテロがイエス様の弟子となった原体験がここに記してある。ガリラヤの漁師に過ぎなかったペテロにイエス様が目を留め『わたしについてきなさい』と直接招いて下さった。このことはペテロにとって主の弟子として歩む出発点となり、土台となり、生涯を導…
しかし、罪が増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。 ローマ人への手紙5章20節 主は答えられた。『もしソドムで、わたしが五十人の正しい者を町の中に見つけたら、その人たちのために、その町全部を赦そう。』 ・・すると主は仰せられた。『滅ぼす…
1.そのことは、とは、 ノアの時代に、箱舟が造られてノアの家族の8人だけが大洪水から救われ生き延びることができたことを指しています。20節参照。昔、ノアの時代に、箱舟が造られていた間、神が忍耐して待っておられたときに、従わなかった霊たちのこと…
ランキング参加中キリスト教 この「上られた。」という言葉は、彼がまず地の低い所に下られた、ということでなくて何でしょう。この下られた方ご自身が、すべてのものを満たすために、もろもろの点よりも高く上られた方なのです。エペソ人への手紙4章9,10節…
歳を重ねていくと、若い時とは違うまた別の肉の欲が現れてくると思う。前頭葉が弱くなり、理性が利かなくなりやすくなり、言わば節制、節度がなくなる。わきまえが利かなくなりやすくなるようだ。おしゃべりが止まらない。心配性がひどくなる。他人を裁いて…
ヨハネによる福音書20章11節から18節 『なぜ泣いているのですか』 ヨハネによる福音書では、復活の主に最初に出会う特権を与えられた女性としてマグダラのマリヤを登場させます。 マグダラのマリヤはかつてイエス様から7つの悪霊を追い出してもらった女性で…
3 御霊によって荒野に追いやられる マルコ1章9節から13節 イエス様の宣教の始まりを学ぶと共に私たちのクリスチャン生活の始まり、いわばイエス様の証人としての生活の始まりを重ねて学んでゆきたいと思います。 待ちに待った救い主イエス様の宣教の始まり…
えい君、おめでとう。ほんとにおめでとう。4年生の秋、いままで学校に行ける事、行くことは当たり前だと思っていたのに、いくつかの経緯はあったけれども突然に、学校に行けなくなってしまったえい君。私も、妻もある意味、パニックになり、動揺し、あれこれ…
福音を宣べ伝える根拠 十字架の言葉は、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。コリントⅠ 2章18節 それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。コリントⅠ 2章21…
2.バプテスマのヨハネ 1章2節から8節 『見よ。わたしは使いをあなたの前に遣わし、あなたの道を整えさせよう。荒野で叫ぶ者の声がする。主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ』2,3節 バプテスマのヨハネはどのような人物であったのでしょうか。…
マルコによる福音書 神の子イエス・キリストの福音のはじめ マルコによる福音書1章1節 1マルコについて 1.マルコはバルナバのいとこ(コロサイ4:10)で、ペテロの弟子でありました。 マルコは直接、イエス様の使徒には選ばれませんでした。 しかし、後に…
愛はすべてのそむきの罪をおおう。箴言10章12節 ある兄弟の人生の証を聞かせていただき、兄弟の人生だけでなく、兄弟の家族全体をイエス様の愛が覆って下さっていることを知ることができました。 家族がボロボロになり、バラバラになるような危機の連続の中…
聖餐の祝福④ 神との交わりの回復 ~回復の道しるべ~ したがって、もし、ふさわしくないままでパンを食べ、主の杯を飲む者があれば、主のからだと血に対して罪を犯すことになります。ですから、ひとりひとりが自分を吟味して、そのうえでパンを食べ、杯を飲…
それは主への過ぎ越しのいけにえだ。主がエジプトを打った時、主はエジプトにいたイスラエル人の家を過ぎ越され、私たちの家々を救ってくださったのだ。すると民はひざまずいて、礼拝した。出エジプト記12章27節
聖餐の祝福③ 過ぎ越しのいけにえ 滅びの災いからの救い。 あなたがたのいる家々の血は、あなたがたのためのしるしとなる。 わたしはその血を見て、あなたがたのところを通り越そう。 わたしがエジプトの地を打つとき、あなたがたには滅びのわざわいは起こら…
聖餐の祝福② 十字架は霊とまことの礼拝に至る道 ~至聖所への道~ イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設けて下さったのです。へブル書10章20節 教会によっては礼拝式の中で、始まりに賛美の時間が延々と続き、初…
聖餐の祝福① 真の礼拝者となるために。 そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。へブル10章22節 聖餐式は、イエス様の…
見よ。主の御手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて、聞こえないのではない。 あなたがたの咎が、 あなたがたと、 あなたがたの神との仕切りとなり、 あなたがたの罪が御顔を隠させ、 聴いてくださらないようにしたのだ。イザヤ59章2節 わたしはこの…
エルサレム中の人々もユダヤ人の王として、ローマの圧制から救うことのできる救い主を求め、期待し待ち望んでいる中、 父なる神様は憐み深く、誰よりも先に、ヨセフとマリアにはイエス様の誕生の意味をはっきりと伝えてくれました。 それは、イエス様はご自…
クリスマスおめでとう。 私たちは神様に愛されるために造られました。 神様は、造られた人をエデンの園に住まわせ、 人との愛の交わりを楽しんでいました。 ところが人は神の戒めを破り人の中に罪が入り込み、 エデンの園から追放されてしまいました。、 人…
私たちの目が開かれる時。 今日もイエス様の御手よりパンと葡萄酒を頂きました。 パンを頂くとき、私たちの心の目が開かれイエス様が生きておられ、ともにおられることが分かるのです。イエス様は私たちに心の目を開くためにもパンを私たちに与えられるので…